1951-02-07 第10回国会 参議院 外務委員会 第4号 天保元年一八三〇年にセボレーが四、五名で初めて欧米人としてそこに来られて住居した。 嘉永六年にはペルリが参りました。それから日本で以て第二回の調査をいたしましたのが文久元年、一八六一年であります。それが水野筑後守が軍艦咸臨丸で来まして、ここに渡島いたしまして、初めて第二回の調査をやつたわけでありますが、それから文久三年には幕府の方針が一変しまして、島民が全部引揚げたということもございます。 藤田鳳全